Subject: 詩篇135篇「金曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/05/26 10:51 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 135篇「金曜日の聖書研究」06/05/26 ■第五巻 主をほめたたえよということばは主を祝福するということばと同じである。 このように訳してくれれば、神様が祝福することと並行していることがよくわかる。 135篇は都上りの歌とつながっているように見えたが、今週学んだら違った。 136篇ともつながっている。 このことは私たちだけではなく、注解書でも言われていた。 136篇にも、135篇にもエジプトでの歴史が歌われている。 135篇は都上りの歌の隣にあるので、似ていないということは言えない。 111ー118篇を受けて、135篇が歌われているということが言える。 メイズさんの詩篇の注解書でもこのことが言われていた。 ■135篇の構造 今回の構造は四つにわけて、3ー12節と13ー18節の中がまた二つにわかれてい る。 構造を考えてくるときに、4節と5節のなぜならと14節のなぜならが同じことを別 の言い方で言っているということがわかる。 ■宝の民 宝の民であるということは、民をあわれまれることによってわかる。 このことはマラキ書3章17節を見るときに、確認することができる。 木曜日の日に宝の民という言い方を見た。 直接の言い方は出エジプト記、申命記、詩篇、マラキにしか出てこない。 相続の地が与えられる事によって、私たちが宝の民であることがわかる。 14節を読むときに申命記32章36節を連想しなければならない。 36節のかばうは14節のさばくということばと同じである。 ■115篇とのつながり 今週は135篇と115篇のつながりも見た。 多くの同じ言い方が出てきて、つながりを見ないわけにはいかなかった。 135篇は民を愛する、主を祝福するということになっている。 115篇は主は祝福する、主に信頼せよということである。 ■118篇とのつながり また、118篇とのつながりも見た。 118篇は135篇とは違うことがわかるが、ことばで説明できない。 135篇は神様がやってくれたことで、118篇は私たちにやってくれたことである 。 118篇は私が強調されていて、135篇では私たちが強調されている。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------