Subject: 詩篇136篇「水曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/05/31 10:32 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 136篇「水曜日の聖書研究」06/05/31 1ー3節にはホドゥー(感謝)ということばが三回ある。 4節、5節、7節には造るということばがある。 日本語の訳では8節と9節にも造るということばが、ヘブル語にはない。 ■申命記10章 136篇を学ぶときに、申命記10章を見なければならない。 10章18節は136篇の25節と並行している。 17節は136篇の2ー3節と並行している。 136篇の4節の大いなるは10章17節、21節と並行している。 12ー22節を切り出してよいのかはあまりよくわからない。 14節と5ー9節は並行しているのではないか。 (神様が造った、神様のものである) 食べ物が与えられるということは非常に大切である。 主の祈りのような短い祈りの中でも、食べ物をくださいということを祈る。 私たちはあたりまえかのように食べてしまう。 ごはんを造っている人は感謝することを求めている。 ほとんどの注解書でも、25節はちょっと飛び出していると言っている。 お金が与えられるということなら、もっと理解できる。 食べ物を与えるときに、洋服のことを言っていないということではない。 パンは実の象徴である。 主の祈りは主の御名に感謝せよで始まって、とこしえにで終わっている。 聖さ、正しさ、いのち、良悪のABABになっている。 Aはいのちの木、Bは善悪の知識の木である。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------