Subject: 詩篇136篇「木曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/06/01 10:54 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 136篇「木曜日の聖書研究」06/06/01 ■その恵みはとこしえまで ・詩篇136篇 それぞれの「その恵みはとこしえまで」という言い方の前にキー(なぜなら)という 接続詞がある。 聖書の中にはキー(なぜなら)という接続詞がたくさん出てくる。 ということは、一つ、一つの行いの理由が言われているということである。 新改訳では省略されているが、新共同訳にはそれぞれの「その恵みはとこしえまで」 という言い方の前に「感謝せよ」ということばがある。 ヘブル語の本の136篇の下のところに、「感謝せよ」ということばが省略されてい ると書かれている。 となると、136篇の構造は2ー4節までではなく、2ー3節、4ー9節にすれば良 い。 「感謝せよ」という言い方が省略されているということならば、新改訳でもよい。 ・他の聖書箇所 「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」という言 い方は第一歴代誌16章34節が一番最初である。 16章は105篇と106篇にはさまれて96篇がある。 この言い方は思っているよりも、ちょっとしか出てこない。 第一、第二歴代誌、エズラ、詩篇、エレミヤ書に出てこない。 聖書には37回しか出てこない。そのうちの26回が136篇である。 新約聖書にはこの言い方は出てこない。 主に感謝せよという直接の言い方はあまりないが、それをあらわすことばは他にも何 回かある。 ヨシャパテは、「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」と言って、戦いに行った 。 感謝の気持ちを持てということではなく、感謝をいいなさいということが言われてい る。 感謝して、こう言いましたという言い方も聖書の中にある。 新約聖書では「その恵みはとこしえまで」という言い方が手紙の挨拶になっている。 例えば、第一テモテ1章2節である。 「その恵みはとこしえまで」という言い方を見て、その言い方をまとめておかなけれ ばならない。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------