Subject: 136篇「金曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/06/02 10:22 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 136篇「金曜日の聖書研究」06/06/02 1節の言い方は第一歴代誌16章のダビデの時代が一番最初である。 出エジプト記15章の歌の中にありそうだがない。 しかし、この時代にもこの考え方がなかったわけではない。 詩篇にも何回かあるが、後半の100篇からにしかない。 歴代誌、エズラ、イザヤ、エレミヤにこの言い方がある。 歴代誌はダビデの時代、ソロモンの時代、ヨシャパテの時代である。 イザヤ書とエレミヤ書はバビロンから帰らせられるということの預言の中で言われて いる。 26節の「天の神」という言い方はエズラ、ネヘミヤの時代になんどもある。 今週の構造は創造、出エジプト、荒野、バビロンの四つにわかれている。 23ー24節には「私たち」という言い方があるので、バビロンから帰ってきた時代 かなと考えた。 創造の話の中には2日、3日、4日しか出てこない。 また、136篇は食べ物を与えてくださるということで終わっている。 136篇を学ぶときに、申命記10章を見なければならない。 2ー3節の神の神、主の主という言い方は10章17節にある。 17節には136篇でこまった食べ物を与えるということも出てくる。 136篇のような祈り方は簡単で、だれでもできる。 新改訳では各節にある「感謝せよ」という言い方が省略されている。 136篇は「主の恵みはとこしえまで」というところに焦点があてられている。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------