Subject:
詩篇137篇「哀歌の中で娘」
From:
+shinya@kanno.com
Date:
2006/06/07 10:32
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ちゃんくんです。

詩篇137篇「娘」について哀歌の中でみました。

娘という言い方は哀歌の中に19回も出てくる。
この娘ということばはバテシェバのバテということばである。
バテシェバという名前には誓いの娘という意味がある。

哀歌は悲しみの歌なので、娘と神様のさばきのことばがいっしょに出てくる。
なぜ、悲しみの歌にたくさん娘が出てくるのかというのが今日の聖書研究の問題であ
った。

娘が裸になるということも何回か出てくる。
4章21節では神様がエドムの娘に楽しみ喜べと言っている。
しかし、22節ではエドムの娘のさばくということが言われている。

神様はシオンの娘にもうあなたを捕らえ移さないと約束してくださった。
4章22節が哀歌の一番最後の箇所である。
一番最初の箇所は1章6節である。

5章には一回も娘という言い方は出てこない。
娘という言い方で、息子とは言わない。

教会はキリストの花嫁であるということもあって、娘なのか。
哀歌は悲しみの歌であるが、シオンの歌は復讐の歌である。

-------------------------------------
+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
-------------------------------------