Subject:
詩篇137篇「木曜日の聖書研究」
From:
+shinya@kanno.com
Date:
2006/06/08 10:20
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ちゃんくんです。

137篇「木曜日の聖書研究」06/06/08 

■娘

哀歌の中では「娘」という言い方といっしょに、「御怒り」が出てくる。
娘がイスラエルをあらわす言い方であることはわかる。
しかし、なぜ、哀歌の中にこんなにたくさん出てくるのかは意味不明である。

詩篇の中で「娘」という言い方が出てくるときには、「喜」んでいる。
他の詩篇137篇についての本でも哀歌に似ているということが言われている。

娘が殺されるということは聖絶されているということである。
このことは第一サムエル記15章2ー3節を読めばわかる。
神様に命じられたので、聖絶をしに行く。
アマレクがイスラエルに対してしたことを罰する。

137篇の8ー9節にはちゃんと「おまえの私たちへの仕打ちを仕返しする人」と書
かれている。

■乳飲み子

第一サムエル記15章3節の子供は137篇と同じことばである。
ここが一番最初の箇所である。
聖書の中にこの言い方は20回しか出てこない。

乳飲み子ということばも、エレミヤ、哀歌のなかにたくさん出てくる。
娘だけではなく、乳飲み子という言い方もたくさん出てくる。

哀歌は別の書物ではなく、エレミヤ書にくっついている。
哀歌は1章5節(最初)から「幼子」ということばが出てくる。

女たちを殺してしまえば、幼子は死んでしまうのに、わざわざ殺す。
エドムはイスラエルがさばかれているのを見て、あざわらった。

■シオン

哀歌の中に、「シオン」ということばが15回も出てくる。
しかし、歌ということばは一回も出てこない。

詩篇にたくさん「シオン」ということばがあるのはわかる。
神様はバビロンの娘を用いて、シオンの娘をさばいている。

シオンを覚えるということは、主が娘を覚えてくださるということである。
シオンを覚えてくださいと願うことは、ダビデの契約を思い出してくださいというこ
とと同じである。

エジプトから連れ出してくださったことを思い出してくださいということではない。
どっちからというと、エジプトの時はアブラハムの契約を思い出してくださいという
ことである。

■137篇の構造

前半はどっちかというとアーメン。
後半はやつけてくださったハレルヤということになっている。

後半の娘、子という言い方は研究することができた。
だから、今日は黙示録の中で見なければならない。

-------------------------------------
+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
-------------------------------------