Subject:
詩篇137篇「金曜日の聖書研究」
From:
+shinya@kanno.com
Date:
2006/06/09 10:00
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

+ちゃんくんです。

137篇「金曜日の聖書研究」06/06/09 

みんな、8ー9節を読むときに、つまずいてしまう。
このことはルカ福音書で、キリストがエルサレムを見て嘆いているときにも言われて
いる。

・全体構造

5ー6説には三回、もしもという言い方がある。
3節の頭にはキーがある。
1ー4節のなかには歌ということばが5回も出てくる。

7節はやられたことで、8ー9節が仕返しすることである。
バビロンはエルサレムに対して、このことをした。

1ー6節が前半で、7ー9節が後半である。
シオンを思い出したとエルサレムを忘れたらというのも並行している。

・娘

今週は特に哀歌とのつながりを見ていた。
哀歌には何回も「~の娘」という言い方がある。

バビロンの娘、シオンの娘、ユダノ娘、エルサレムの娘、エドムの娘という方である
。
この言い方の一番最初は第二列王記19章21節である。

この言い方は聖書の中にあまりない。

・乳飲み子

子供を殺すということは出エジプト記1章16節、マタイ2章16節にある。
モーセも、キリストも殺されそうになった。

この乳飲み子ということばも哀歌にたくさん出てくる。

137篇、そのものも哀歌みたいな詩篇である。

復讐の歌は黙示録を思い出さなければならないというのは最初からわかっていた。
黙示録の中では迫害されても、喜び歌っている。

・シオンの歌

シオンの歌とは何か。
119篇の49節からの段落で、旅の家ではおきてが歌となったということが言われ
ている。

シオンの歌とは復讐の歌ではないのか。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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