Subject: 詩篇138篇「水曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/06/14 11:08 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 138篇「水曜日の聖書研究」06/06/14 ■全体構造 1ー2節は「私」が主語になっている。 4ー6節は「王たち」が主語である。 3節も私の話をしている。7ー8節はまた私の話になっている。 3節には敵は直接出てこないが、敵がいるということである。 敵がいなければ、苦しみの中から呼ぶことにはならない。 ■ダビデによる 「ダビデによる」という言い方は138ー145篇にある。 ダビデによると書かれているが、ダビデが歌ったのではないと言う人がいる。 ダビデの時代には聖なる宮がないというのがこの理由である。 「ダビデによる」という言い方は第五巻の中に108ー110篇にもある。 138篇はダビデぽい詩篇であるということが言われている。 祈りとして適用するのが簡単そうだから、人気である。 私という言い方なので、覚えて自分の祈りとして祈りやすい気がする。 このような考え方はまちがってはいないが、王様として祈っている。 自分が王として救われるということを言っている。 138篇ではみことばは預言、約束であるということになる。 国々はこうなるという預言である。 預言されたとおりになりましたというのを感謝する。 139篇は個人的な詩篇で、人気がある。 この詩篇は非常に138篇とつながっている。 138篇にはイザヤ書に引用されているような言い方がある。 クロスリファレンスにはとくにはイザヤ書は出てこない。 そうすると、イザヤに出てくる預言が成就しているということになる。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------