Subject: 詩篇138篇「金曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/06/16 10:58 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 138篇「金曜日の聖書研究」06/06/16 ■構造 138篇の構造は色塗りをちゃんといかしている。 1ー3節と4ー8節の前半と後半にわけた。 前半は王、後半は国々ということになっている。 138篇は個人の祈りのようになっているので、適用しやすそうである。 私というときに、ダビデは王様として祈っている。 ダビデは王様として、苦しんでいる。 ■王としての祈り この詩篇は「ダビデによる」という題がついていて、詩篇ぽい。 詩篇ぽいということについても考えた。 私が、私がということになっているので、ダビデっぽいと言われる。 個人の祈りと、代表の祈りとは違うものである。 個人の病気がいやされることと、王様の病気がいやされることの違いと同じである。 王様の病気がいやされなければ、神様の御名が汚されることになる。 このように考えてくるときに、2節のみことばを上げるという意味がわかってくる。 みことばとは預言、約束であるということが言える。 ■イザヤ書とのつながり この詩篇がエズラの時代に書かれたものであるのなら、イザヤ書で預言が成就される ことを祈っている。 メイズさんは、イザヤ書とのつながりを見なければならないということを言っている 。 来週は138篇と139篇のつながりを見なければならない。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------