Subject: 詩篇139篇「水曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/06/21 9:59 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 139篇「水曜日の聖書研究」06/06/21 神様はどこんなところに行っても、ともにいるというのが不思議なみこころである。 全部、知っているということはどんなときにもともにいるということで現される。 それに対して、私たちは敵から離れるということである。 神様が私たちを知っているので、私たちも神様を知るというのがこの詩篇の答えでは ない。 だからといって、憎むことにたいして愛するということがあるわけではない。 愛はこの詩篇の中で知っているということになる。 神様は恐ろしいほど私たちのことを知っている。 高ぶる者を遠くから見抜かれるという言い方が138篇の6節にある。 キリストは私たちに「世の終わりまでとともにいる」ということを約束してくださっ た。 サタンは神様がともにいないかのようなのを見て、攻撃してくる。 十字架上でも神様はともにいないかのようだったので、苦しかった。 神様から離れている悪の道は私たちから離れていくように。 全知全能というときに直接愛ということにはならない。 しかし、ここで言う知るということは愛しているということである。 ヨブは全知全能の神様であるということは知っていった。 しかし、神様は私たちを知っているので、愛してくださっているということを確かめ たかった。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------