Subject: 詩篇139篇「木曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/06/22 11:02 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 139篇「木曜日の聖書研究」06/06/22 19ー22節の「悪者から離れる」というのがなければ、いい詩篇だと言える。 138篇には「主の道について歌う」というテーマがある。 また、主に感謝する、右の手という139篇とのつながりがわかることばがある。 138篇は敵が怒っているが、139篇では敵から離れることになっている。 14節の主に感謝するというのが139篇の中心である。 138篇も、139篇も感謝の詩篇である。 139篇は一般の人に人気のある詩篇である。 しかし、19ー22節がなければ、人気である意味がわかる。 先週と同じように、139篇は個人的に見えてしまう。 しかし、138も139篇もメサイヤが祈っている詩篇だと考えなければならない。 個人的な詩篇として考えてしまうので、19ー22節が邪魔になってしまう。 神様は王が貧しいものをあわれむ心を持って、さばいているかどうかを知っている。 王様が正しいさばきをできるように導いてくださる。 だれが、自分の敵なのかをいつも把握しておかなければならない。 病気になるときの一番の問題は人間関係である。 サタンはそのようなときに、兄弟関係、友達関係をだめにしようとしてやってくる。 病気のときに、いやしてくださいと神様に祈ったのに、薬ばかり探しているというの は偽善者である。 ここで、敵というときにはイスラエルの中に悪者のことを言っている。 異邦人の国にいる敵のことをここで言っているわけではない。 試みにあわせないでくださいということを祈らなければならない。 悪者どもは悪口を持って、攻撃してくる。 しかし、神様はことばが舌に上る前にことごとく知っておられる。 王様が正しくさばくなら、そのグループは平和である。 ヨブは自分の痛みがなくなることを祈っているのではない。 痛みがなくなるまえに、ヨブの問題は解決している。 それよりも、神様が知って行っているのかどうかを確かめたかった。 ヨブは義人の代表として苦しんでいる。代表をやつけたらあとは簡単という人であっ た。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------