Subject: 詩篇139篇「金曜日の聖書研究」 |
From: +shinya@kanno.com |
Date: 2006/06/23 9:50 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
+ちゃんくんです。 139篇「金曜日の聖書研究」06/06/23 ■神様は知っている 139篇には「知っている」という言い方が8回も出てくる。 この詩篇は私を知っているで始まって、私を知ってくださいで終わっている。 5ー6節と17ー18節に神様の思いはすごいというテーマがある。 神様がすべて知っているということは普通はこまることである。 しかし、これは感謝すべきことであることが教えられている。 ■構造 このように見てくると、構造は1ー13節と14ー24節の二つにわかれる。 神様は知っているということにかこまれて、神様の思いは不思議というテーマがある 。 ■代表者とのつながり ある人は19ー22節を別にして考える。 そうすると、個人的で、だれにでも適用しやすい。 この適用の仕方はある意味で正しい。 ダビデの個人的な祈りとして解釈すると、19ー22節を適用しずらくなってしまう 。 ダビデはメサイヤのひな型として、この詩篇を祈っている。 とくに19ー22節のような箇所を読むときに、このことを忘れてはならない。 王様が正しく人をさばく心を持っているかどうかを神様は探る。 神様がともにいるという言い方はヨシュアを思い出す。 神様から与えられた責任を果たせるように、いつもともにいてくださる。 神様が知っているということ、神様がともにいてくださるということは神様の愛であ る。 病気になるときに、痛いことだけがそのときの問題ではない。 そのお見舞いにくる人、神様との関係が問われている。 ■138篇とのつながり 138篇は短い詩篇なのに、感謝することが非常に強調されている。 139篇には14節にしか感謝ということばがない。 しかし、神様は知っているということにおいて、感謝があらわされる。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------