Subject:
Re: 詩篇78篇の構造(松田)
From:
matsuda@saiwai.net
Date:
2002/03/21 9:11
To:
saiwainet@egroups.co.jp

+松田@移民です。

丁寧なお返事に感謝いたします。返信が遅くなり、すみません。

> 「民が罪を繰り返し犯す」読んで苦しい詩篇です。
> 歴史的順番で書かれているのかと思うと、そうでもありません。エフライムが
> 退却するところから、荒野に戻り、行きつ戻りつしながら進んでいくようにも
> 見えました。

3月12日の「 詩篇78篇 ツォアンの野について」のホワイトボードが、
自分でも知らないうちによっぽど印象に残ってしまったようで、キリスト
以後の時代との対比をよく思い出してしまいます。うちでは大きな紙を
使って子供たちに同じような絵を描かせて楽しませていただきました。

> 記憶しなければならないと言われている時代が、荒野の時代とカナンでの
> 時代のふたつではないかと、

おっしゃる点には気がつきませんでした。ありがとうございます。

出エジプト後のイスラエルの歴史は、カナン征服をめざしながらも「罪を
繰り返し犯す」という苦しい歴史であり、基本的にアダムの失敗をひな形に
した歴史です。最終的には神殿への裁きで終わったんですよね。

ホワイトボードの歴史絵巻を見ると、似たできごとが時間的に並行している
と同時に重複もしていておもしろいことです。

しかし神殿が破壊された後に「世界」という荒野に出て行った神の民を導く
のは全能の牧者です。すでに勝利をおさめられた方です。私たちは彼の下に
あって、すでに勝利したと同時に、罪との戦いにも勝利するはずですね。ここは
ツォアンの野とは反対になるべきところでしょう。毎日の生活では勝っている
ようには見えないことも多いのが私たちの問題ですが。

いや、毎週の聖餐式を通して勝利していると言うべきでしょうか。
新約時代の光のうちに生かされている幸せを感謝せずにはいられません。
アブラハムイサクもヤコブもダビデもみんな苦労したのだなあ、と思います。

手島佑郎の引用ありがとうございました。ようやく思い出しました。
とてもおもしろい著作ですよね。
むかし大学で習ったフロイト心理学は神を憎む教えなので、全く反対の
ことを教えていたと思います。フロイトはユダヤ人の家の生まれであると
いわれますが、たいへん皮肉なことですね。


-- <kanno@k...>さんのメッセージ
> +カンノパパです。
> 
> > ちょっと混乱した構造になってしまいました。
> 
> そうですね。もう少し全体を見渡した方が良いような気がします。
> 細かく分けたそれぞれのポイントが、どのように連携し一体となっているのかを探り
> ましょう。
> 
> 「民が罪を繰り返し犯す」読んで苦しい詩篇です。
> 歴史的順番で書かれているのかと思うと、そうでもありません。エフライムが退却す
> るところから、荒野に戻り、行きつ戻りつしながら進んでいくようにも見えました。
> 
> > 今回の質問「78篇で取り扱われている大きな罪」は、
> > ・神を疑う(試みる)
> > ・神に信頼しない
> > でしょうか。
> 
> 記憶しなければならないと言われている時代が、荒野の時代とカナンでの時代のふた
> つではないかと、構造を見ながら考えました。それで、大きな二つの問題について、
> それぞれの時代の中心的な問題を通して考えました。
> 
> > そういえば、塾長が持っている何かの本に「イスラエルは記憶の民」
> > などという表現があったのを思い出します。
> 
> 以下、引用です。
> 
> ユダヤ人は自ら「記憶の民」と呼ぶ。アブラハムの信仰継承を記念し、エジプトで奴
> 隷であった日々を記憶し、預言者たちの言行を記録し、タルムードの賢人たちの知恵
> を収録し、聖都エルサレムへの絆を確認し、過去の出来事のいっさいを子々孫々に語
> り伝え、民族の歴史を維持してきた。ユダヤ人は記憶力の民ではないが、歴史遺産を
> 記憶記念する民である。その記憶には、民族の偉業と栄光がけが記念されているので
> はない。迫害と離散と苦悩と失敗の歴史も記憶され、その痛みと教訓とが世代から世
> 代にわたって教え継がれてきた。
> 
> 歴史は民族の戸籍謄本である。ユダヤ人が民族の歴史を大事に記憶する理由の一つ
> は、それが世界中に離散したユダヤ人にとって、自分たちの一体性を確認する上で、
> 最も有効な手段だったからである。しかし、真の歴史教育の持つ、より重大な効果
> は、人間を全人格的に啓発するという点にあることも、ユダヤ人は重々承知してい
> る。ここで真の歴史教育の意味は、栄光や栄華の歴史だけを強調するのではなく、失
> 敗や挫折、迫害や没落といった苦悩の歴史を正視し、そこから教訓と反省を学び取る
> 態度を指すのである。その意味で、ユダヤ人の子弟教育は、痛みの教育であるとも定
> 義できよう。彼らは、人生の悦楽遊興を子供たちに教えるよりも、人生には暗黒と失
> 意があることも知らせる。
> 
> ユダヤ人はなぜ優秀か p79
> ヘブライ文学博士 手島佑郎著
> サイマル出版会 1979年
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> +カンノパパ@さいわいネット
>  http://saiwai.net/
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