Subject:
RE: [saiwainet] Ps31、「神殿が破壊されている」についての質問
From:
kanno@kanno.com
Date:
2001/04/13 20:46
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

+カンノカズヒコです。
4月13日のホワイトボードで、他の「雄強」は神殿奉献と関連していたが、詩篇31篇24節のそれは「神殿が破壊されている」とありました。どうしてかわからないので、その根拠を教えて下さい。
詩篇31篇ではなく、哀歌との比較です。
 
哀歌の時代のエレミヤは、神殿奉献の反対、神殿崩壊の時代に生きていました。
 
しかし、哀歌の概略でもわかるように、その信仰は、「必ず神殿は硬く建てられる。神様は民を見捨てない、見放さない」という望みです。
 
詩篇31篇のダビデは、具体的には、歴史的にいつ書いたものかはわかりませんが、哀歌のエレミヤと同じように、衰えはて、捨てられたたかのように思える状態でした。
それでも、なお、主に身を避け、たましいを主の御手にゆだねて、最後まで神様のめぐみにより頼みました
 
「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」イザヤ40章
 
ヨシュアに言われたときも、イスラエルの人々は、カナン人を恐れていたときでした。
神を恐れるのか、人を恐れるのか、2列王記17:35-のところにもあるように、この戦いは信仰の戦いです
 
エレミヤは、神殿が目の前で崩壊しているときでさえ、永遠の神殿が建てられる日が来るのを信じました。
キリストは、ご自分が十字架についたときでさえ、永遠の神殿はよみがえることを信じました。
 
「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」と、主がペテロに言われたとおりです。
 
強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
申命記31:6 

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