+カンノパパの新説です。
> +松田@寄留者です。
> 塾長が言われるように、8節が他と違って見えますが、
そうでした。8節をどうしようかと困りました。
さいとうさんも、
> 構造的には、ABC -> CAB -> BACと各パートの最後の
>
箇所を引きずって進行していっているのではないかと思います。
松田さんも、
> 詩篇42-43篇を3つの部分に分けました。気がついたことは
>
a.. 1部と2部は「A, B, D」が同じ。
> b.. 2部と3部は「A, E, D」が同じ。
>
c.. 1部と3部は「A, C, D」が同じ。
3つに分けたそれぞれの繰り返しをどう扱うかが問題ですよね。
今日、新しい説ができました。ホワイトボードを見ていただけますか?
1)3つの部分は、ABAでキアスマス。(42:1-5,42:6-11,43:1-5)
2)絶望の理由はふたつあり、「理由1:おまえの神はどこか」と「理由2:わたしの神はどこか」
Aには、理由1。Bには、理由1と理由2両方。Aには、理由2。
3)AとA(42:1-5,43:1-5)の望みは、神の家。B(42:6-11)の望みは、神の恵み。
神の家の望みの中心は、神が与えてくださる恵みと歌恵。そこにいのちがある。
4)43:1さばきの話は、キーで2節につながり、神がさばかれないのは絶望の状態である。
というわけで、
A) 1-2
絶望(神を慕う)
B) 3 絶望の理由:神無(敵の攻撃)
C) 4 望み:神の家の喜び
X) 5 神待望
A) 6-7 絶望(神を思う)
C) 8 望み:神の恵み・歌恵
B) 9-10 絶望の理由:神が忘れる+神無(敵の攻撃)
X) 11 神待望
A) 1 敵のさばき(絶望)
B) 2 絶望の理由:神が忘れる
C) 3-4 望み:神の家の喜び
X) 5 神待望