+カンノカズヒコです。
スミス牧師から何度も教えていただいているキアスマスですが、つねづね、簡単に日本語で紹介する文章が必要だと考えていました。
私の良く見る、聖書の文学構造やキアスマスについてたくさんの例を紹介してくれるサイト inthebeginning.orgに短い紹介がありましたので、翻訳の許可をとり、松田さんに翻訳をお願いすることにしました。
完成したら、「さいわいネット」に掲載します。
翻訳の構成をしていただける方が、いらっしゃいましたら、お手伝いいただけると助かります。
このプロジェクトのためにお祈りください。神の御国の再建のために用いられんことを。
聖書の文学形式
『キアスマス』 ウィリアム・D・レイミー著 松田出訳
何年も前、聖書の構造を研究し始めたころ、聖書へのアプローチをすべて考え直すことになるとは思いもしなかった。それまで聖書を教えてきた経験や、個人的に聖書を学んだり、考えたり、瞑想したり、祈ったりしてきたことすべてについての再検討である。
聖書は私の想像をはるかに超えたものであり、ヘブル語旧約とギリシャ語新約両方の構造をくわしく調べていくうちに「神のみことば」や「誤りのないみことば」という表現は、私にとって、もっと深い意味を持つようになった。私が取った方法は、自分で聖書についていろいろな発見ができるやり方だ。個人的には確実に役立ったといえる。この方法は新たな聖書解釈の視点を提供するためのものである。
■導入
旧約の記者も新約の記者も綿密な計画のもとに聖書を書いたということを今日では多くの聖書学者が認めている。歴史の中に神学的な概念をおり込むために記者が行ったことの中でも、目立たないが重大な働きがある。それは、聖書全体をおおう枠組みを作ったことだ。「文脈」とも呼べる。正確にいうなら「文の構造」だろう。したがって、聖書の部分どうしは、部分の大小にかかわらず、必ず互いに関連していることが明らかである。
聖書の文章構造に言及するなら、聖書の部分どうしの「関連」にも注目せざるをえないのだ。当時の文章技法や構造について知らなければ、聖書を忠実に読んだり翻訳したりすることは不可能である。
私たちの知識体系は、語、文、節、篇が互いに関連しあってできている。どんな知識体系にも、思考の流れの始まりと終わりを示すしくみがなくてはならない。現代文では、句読法、段落、章、小見出し、表組みなどを駆使してそれを行なっている。古代文学ではキーワードの繰り返し、慣用句、概念などを用いて思考の始まりと終わりを表現していた。つまり聖書記者たちの構造技法は、基本的にこのような思考の流れの境目を指し示すことが目的であった。
[キアスマスの定義]
過去には多彩な文学形式(step parallelism,
inclusionなど)が使われてきたが、聖書の文学形式がここ100年、特に20年ほど前から注目されるようになった。それがキアスマス(chiasmus、chiasm)である。キアスマスとはギリシャ語で「X形に交差した2本の線」を意味する(Xはギリシャ語アルファベットの22番目の「キー」)。
文学的にはキアスマスとは、平行した文・単語・概念の始まりと終わりが対称的に配置されることを指している。句、節、段落、章だけでなく、ときには書物全体がキアスマスになることもある。簡単な例を見てみよう。マタイ福音書7:6である。
A 聖なるものを犬に与えてはいけません。
B
また豚の前に、真珠を投げてはなりません。
B' それを足で踏みにじり、
A'
向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。
AとBの文は、鏡像のようにB'とA'に反映されている。マタイ福音書7:6をキアスマスとして見るなら意味をはっきりとらえることができる。
犬(A)→引き裂く(A')
豚(B)→踏みにじる(B')
という対応関係はきわめて論理的だといえる。
上の例でみたようにキアスマスは基本的に2つの要素でできている。「倒置」と「平行」だ。この2要素から「折り返し点」という3番目の要素が生み出される。上の例は厳密にいえば「折り返し点」がないのでキアスマスではなく倒置平行法だ。キアスマス独特の構造は「折り返し点」を持つことである。折り返し点があるので、ほかの部分の構造も生じてくる。つまり、折り返し点でない部分を比較・対照・完結させることによって、折り返し点にあたる概念を補強するわけだ。
もう一度まとめると、キアスマスとは、中心概念を包み込むように対称的に配置され、平行法、直接法、倒置法、対照法などによる構造をもった文のことである。
前半部の終わりがそのまま後半部の始まりに現れるので、自然と「その間」に注意が向けられる。例を見てみよう。
A B X B' A'
上の「X」にあたる部分が対称をなす左右の中心にあることがわかるので、これを「折り返し点」とみなすわけである。
[キアスマスを図解する]
キアスマスを扱うための基本原則は、
・直線的に考えない
・求心的に考える
である。私たちは主に西欧的にものを考えたりアウトラインを作ったりするように訓練を受けてきた。これは古代中近東の思考方法と相容れない。たとえば私たちはアウトラインを作るとき、思考の流れが進むのに合わせて数字や文字を、連続して直線的に紙の上に書き込んでいく。しかし、2000~3500年前に全く異なる言語で書かれた聖書を読むときにも、このスタイルをそのまま適用してよいものかどうか、少し疑問に思ってみてもよいのではないだろうか。
ある文書に組み込まれたキアスマス構造を調べるのによいと思われるアプローチは次のとおりである。
まず、繰り返し現れる文字列を拾い出す(伝統的な方法)。次にそれを「A B X
B'
A'」の形にあてはめてみる。この文書構造が西欧の伝統(特に西欧文学において)とは非常に異なるので、たしかに私たちには読みづらい。しかしキアスマスの原則を学んで聖書に適用したいと心から願う者にとって、キアスマスは美しく、文学的・神学的価値の高いものだ。
古代文献は、キアスマスを示すためにわざわざインデントを付けるようなことはしていない。それをインデントで視覚化する理由は、ひとつには構造を把握するのに不要な情報を取り除くためであり、2番目に、込み入ったストーリーを把握しやすい形に置き換えるためである。これにより理解にかかる時間は短縮される。
■旧約聖書のキアスマス実例集
何種類かのキアスマスに慣れていただくための実例を示す。わずか2~3文しかない例もあるが、ひとつまたは複数の章をそっくりキアスマスとして示したものもある。この実例集は、私たちのウェブサイトで適宜公開していく予定だ。実例には短い解説も付けられている。ただし、現在のところは「アウトラインのみ」の実例を掲げることとする。
[アブラハムへの主の契約]創世記17:1-25
----------------------3/29
p.3最終行↑------------
(中略)
----------------------3/29
p.13 最後から3行目↓------------
■新約聖書のキアスマス実例集
旧約聖書と同じく、新約聖書にもキアスマスの例は無数にある。それらのうち、ごく一部を掲げる。
[受胎告知]ルカ1:6-25
A ザカリヤとエリサベツの敬虔(6)
B エリサベツの不妊(7)
C
ザカリヤの祭司としての務め(8)
D ザカリヤ神殿に入る(9)
E
人々外で待つ(10)
F
御使いザカリヤのそばに立つ(11)
G
ザカリヤの恐れ(12)
X
受胎告知(13-17)
G'
ザカリヤの疑い(18)
F'
神の前に立つ御使い(19-20)
E' 外にいる人々(21)
D'
ザカリヤ神殿から出る(22)
C' ザカリヤの祭司としての務め(23)
B' エリサベツ懐妊(24)
A'
エリサベツ(とザカリヤ)への神の好意(25)
[ルカ福音書9:51-19:48]
A エルサレム:終末的事件(9:51-56)
B 「わたしについて来なさい。」(9:57-10:12)
C 「何をしたら永遠のいのちを得られるか?」(10:25-41)
D
祈り(11:1-13)
E
しるしと現在の王国(11:14-32)
F
パリサイ人との摩擦:財産について(11:37-12:34)
G
御国はまだ来ていない、そして今来る(12:35-59)
H
御国によるイスラエルへの招き(13:1-9)
I
御国の性質(13:10-20)
X
エルサレム:終末的事件(13:22-35)
I'
御国の性質(14:1-11)
H'
イスラエルへの御国の招きと見捨てられた者(14:12-15:32)
G'
御国はまだ来ていない、そして今来る(16:1-8,16)
F'
パリサイ人との摩擦:財産について(16:9-31)
E'
しるしと来るべき御国(17:11-37)
D' 祈り(18:1-14)
C'
「何をしたら永遠のいのちを得られるか?」(18:18-30)
B' 「わたしについて来なさい。」(18:35-19:9)
A'
エルサレム:終末的事件(19:10,28-48)
[ヨハネ福音書序文]ヨハネ1:1-18
A 言葉は神とともにある(1-2)
B 言葉による創造(3)
C
言葉によっていのちが与えられた(4-5)
D
バプテスマのヨハネ証しのために来る(6-8)
E
御子の受肉とこの世の反応(9-10)
F
言葉である神の御国とその民(11)
G
言葉を受け入れた人々(12a)
X
神の子どもとされる特権(12b)
G'
言葉を信じた人々(12c)
F' 言葉とその民(13)
E'
御子の受肉とこの世の反応(14)
D' バプテスマのヨハネの証し(15)
C'
言葉から恩恵を受ける(16)
B' 恵みとまことが言葉によって来る(17)
A' 言葉は神とともにある(18)
[使徒行伝15:1-21:26]
A エルサレムの評議会(15:1-34)
B 伝道旅行と投獄(15:36-17:15)
C アテネでの説教(17:16-24)
D
コリントの教会と伝道旅行(18:1-23)
X
エペソからアジアへ広がる福音(18:24-19:20)
D'
エペソの教会と伝道旅行(19:21-20:16)
C' エペソでの説教(20:17-38)
B'
伝道旅行と捕縛の預言(21:1-14)
A' エルサレム指導者への報告(21:15-26)
[使徒行伝20:18-35]
A パウロの証し(18-21)
B 預言:エルサレムのパウロ(22-24)
X
パウロ、エペソ人にはもう会わなくなる(25)
B' 預言:内と外の偽教師(26-30)
A'
パウロの証し(31-35)
[コロサイ1:3-13]
A 感謝し・・・あなたがたのために祈っている(3)
a
聞いたから
b
キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰を
B X
すべての聖徒に対してあなたがたがい抱いている愛(4b)
b'あなたがたのために天にたくわえられてある望み(5a)
a'すでに聞きました(5b)
a
福音の真理のことば(5b)
b
あなたがたに届いた(6b)