Subject:
Re: [saiwainet] 詩篇59:11「民が忘れることのないため」
From:
伊藤由美 <itoyumi@parkcity.ne.jp>
Date:
2004/11/17 16:45
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

伊藤由美です

今日伊藤家の学びのとき、
出エジプト記23:9と申命記7:22以外に
私たちは思い出そうとしていたところがあって、
それは、神がイスラエルを守るためにカナン人を追い払われなかった神の配慮を忘れないため、
という内容のところでした。
ただ、それだと、見つかったとしても11節の内容とそぐわないかもしれないと
カンノパパさんも言っておられたのですが、
(つまり、敵が残っていることを歓迎している状況ではないので)
士師記にはこういう箇所があったのですね。
「民が主の命令を守るかどうか、民を試みるためだった」から忘れない、というのであれば
話のつじつまが合うのではないかと、私も思います。

この士師記の箇所は、
次世代の信仰を試すためにヨシュアの時代に残しておいた国民を追放しない、ということで
それは、戦いを知らぬ世代に戦いを教えるためでもありますよね。

ここの背景にあるのは、ヨシュアの訣別説教かなと思いました
ヨシュア23:12ー13
しかし、もう一度堕落するなら・・・・
あなたがたの神、主は、もはやこれらの国民をあなたがたの前から「追い払われない」ことを、
しかと知らなければならない。

いずれにせよ、敵が殺されないことは、恵みでもあったと同時に、
教訓的な裁きでもあったということで、そちらの方を「忘れてはならない」ということなのでしょうか


On 2004.11.17, at 01:51 PM, Junko Sano wrote:

こんにちは、+じゅんママです。

詩篇59:11 「 敵を殺さないで、民が忘れることのないため」の箇所で連想したのは、
士師記2:19-23、3:1-4 「敵が滅ぼされずに残されたのは、民が主の命令を守るかどうか、民を試みるためだった」という箇所です。

●士師記2:19-23
しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らはいつも逆戻りして、先祖たちよりも、いっそう堕落して、ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んだ。彼らはその
行ないや、頑迷な生き方を捨てなかった。

それで、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がった。主は仰せられた。「この民は、わたしが彼らの先祖たちに命じたわたしの契約を破り、わたしの声に
聞き従わなかったから、わたしもまた、ヨシュアが死んだとき残していた国民を、彼らの前から一つも追い払わない。

彼らの先祖たちが主の道を守って歩んだように、彼らもそれを守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。」

こうして、主はこれらの国民をただちに追い出さないで、残しておき、ヨシュアの手に渡されなかったのである。

●士師記3:1、4
カナンでの戦いを少しも知らないすべてのイスラエルを試みるために、主が残しておかれた国民は次のとおり。

これは、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。


以上です。


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