W・D・レイミー著
松田出訳

 


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要素D-D'の並行

D 予期せぬ反転(38:27-39:23)
   −ペレツとゼラフ(38:27-30)
   −ポティファルの妻無罪、ヨセフ有罪(39:1-23)
D'予期せぬ反転(48:1-22)
   −ヤコブ、ヨセフを愛する(48:1-12)
   −エフライムとマナセ(48:13-22)

前半部(D)において、登場人物の立場が逆転する。ヨセフは無罪であるのに有罪、ポティファルの妻は有罪なのに無罪である。後半部のD’において、2番目に生まれたエフライムが長子とされ、長子であったマナセが2番目に引き下げられる。しかし、両者においてヨセフは究極的に優越しており、そのゆえに立場の逆転が生じている。両者においてストーリーはベッドの周りで展開する。D’ではヤコブが病床に横たわり(創世記47:31)、ヨセフがその傍らにおり、状況が明らかである。Dの状況描写はもっとあいまいになる。ポティファルの妻はおそらくベッドにいるか、またはそのことを思い描いており、ヨセフは彼女の傍らにいる。

DとD’とを連携させるテーマ語は次のとおりである。

  1. 「祝福する」の語幹 は両者において重要であり、39:5および48:3,9,15,16,20に現われる。

  2. 「彼は拒んで言った」 (39:8)は、興味深い対応がある。「彼の父は拒んで言った」と同じ語である。
  3. 「ヨセフは主人にことのほか愛された」 (39:4)とあり、47:29において「もしあなたの心にかなうらなら」 が見つかる。

  4. 「恵み」 が39:21、47:29の両方に現われる。

  5. 「寝る」の語幹 がDにおいて目立つ。39:7-14の間に4回くり返されるが、47:30(D’)においても呼応する単語がある。

  6. 「手」 はDにおいて非常に多く、9回現われる重要単語である。同様にD’においてもヤコブの交差した「手」によって立場の逆転がもたらされ、ヤコブに対するヨセフの誓いの場面(47:29; 48:14,17)にも現われるので、重要性が確認できる。
    7. 「パン(食物)」 が比喩的に「妻」の意に使われ(39:6)、「ベツレヘム(パンの家)」 が48:7に現われる。

ヨセフ物語の構造を調べることによって、聖書学者を悩ませてきた問題をもうひとつ解決することができる。フォン・ラッド、デヴィッドソン、ヴォーター、スキナーらによれば、創世記48:7のラケルの死と埋葬に関するヤコブの語りは場違いであり、前後との脈絡がわかりにくいという。A.ディルマンは全体としては、ヤコブの言及をさほど重視していない。それでも「何かの理由が欠落しているが、無意味な飾りではない」と述べる。しかし注釈として、ヤコブの「ベツレヘム」という言葉はヤコブが語ったものではなく、後代になって付け加えられたという(“Genesis II”, 437-38)。

「無意味な飾りではない」という見方はもっともだ。わざわざ直接話法を使って無意味な言葉を記述することは考えられない。ここで要素Dにある「パン」 (39:6)と「妻」の用法に注意したい。これらの語は含みの多い使われ方をしている。これによって要素D’の48:7において「ベツレヘム」 という単語が挿入された理由は明らかだ。「パン」と「ベツレヘム」がDとD’を接続するのである。

 
 
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