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結論
本書の冒頭において、ヨセフ物語の構造が綿密に設計されたものであると述べた。この結論が正しいことは、キアスマスによって対になった要素がテーマ語によって関連づけられていることと、キャッチワードによって各要素が直線的に連結されていることによって証明することができた。
テーマ語、キャッチワード、折り返し点によるストーリー構築は、感動とサスペンスに満ちたヨセフ物語の芸術的技巧の筆頭である。
この構造を見るときに、古くから人々がヨセフ物語を真に最も美しい物語であると認めてきたことにはやはり理由があったのだと再認識させられる。
ヨセフ物語のキアスマス構造と中心テーマ、およびそれらを取り巻くように展開される同心円的な対称性が明らかになった今、ヨセフ物語の目的を理解するための正しい道筋を得たといえる。構造の対称性を見落とすと、「概念の中心」を見失う。結果として、もとのメッセージをゆがめるのだ。そればかりか、キアスマスの対称や強調を読み取るセンスも得られずに終わってしまう。
ヨセフ物語のキアスマス構造を調べる目的のひとつは、熟慮の上で綿密に設計されたアウトラインを明らかにすることである。したがって、それについて議論しなければ、構造が重要なポイントであるはずのヨセフ物語のアウトラインの関連や重要性を過小評価してしまうことになる。
ヨセフ物語のキアスマス構造の最も重要な意味は、それ自体が資料批判に対する反論になるという点だ。資料批判には、テキストを粉々に砕いて顕微鏡で見ようとする癖がある。これらの砕片は「J」「E」「P」などと命名されるわけだ。これに対して文学的アプローチは、視点をぐっと後に引く。こうして得られる広角度の視野を活かし、ひとつの文学作品が全体としてどのように機能しているかを明らかにすることができる。
最後に、次のように言うことが適切であろう。つまり、キアスマスは、ひとつの大きなテキストの特定の部分が後代になって継ぎ足されたものかどうかを見極めるための良い基準を提供してくれる。また、キアスマス構造を無視してテキストを切り刻む資料批判のアプローチに対する反論でもある。それらの「仮説資料」の断片がやたらと継ぎ足されたあげく実際みられるようなキアスマス構造が形成されてしまった原因をうまく説明できないのであれば、「仮説資料」はやはりただの仮説であって、そのような断片はもともと存在しなかったのである。
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